「わたしにつながっていなさい」   08.11.09
                       ヨハネ15:1〜10

 「わたしにつながっていなさい」と、主イエスは語りかけてまいります。
 また、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」ともおっしゃい
ます。
 聖書の「つながる」という言葉には、「内にある」という意味もあり、
一体となるほどの結びつきのことです。木と枝がひとつであるように、
主イエスとわたしたちもひとつだとおっしゃるのです。それは、にわかには
信じがたいことかもしれません。しかし、それを喜んで受け入れるのが
信仰でありましょう。そして、主がわたしたちを枝とみなしてくださるからこそ、
今日も、この礼拝で「わたしにつながっていなさい」との言葉を聞かされて
いるのです。
 「実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる」とおっしゃいます。ドキッと
する言葉です。ところで、イエスさまにつながっている枝が結ぶ実とは、
なんでしょうか。ひとつには、愛の実を結ぶということでしょう。主イエスは
「互いに愛し合いなさい」と繰り返しおっしゃいます(12.17節)。主イエスに
愛されているものは、その愛の栄養を受け、互いに愛する心を養われ、
愛の実を結びます。
 主につながる者は聖霊を受け、霊の実を結びます。「霊の結ぶ実は愛で
あり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」(ガラテヤ
5:22-23)主イエスのお姿を見つめることで、主イエスにつながるものと
しての行いや言葉が示されてくるでしょう。
 わたしたちが結ぶ実は、小さく、わずかなものでしかないかもしれません。
わたしたちは、自分の目に実りが見えるかどうかに振り回されます。
けれども、農夫である神さまは、たとえ一粒の小さな実であっても、それを
見逃されることはないでしょう。
 主イエスと言う木につながる者は、主を礼拝するという形の実を結びます。
 それは、他の木につながっていたなら結ぶことのない実です。
 礼拝をしている私たちを、神さまは、取り除くのではなく、いよいよ豊かに
実を結ぶようにと手入れをしてくださいます。